鼓動電車 　 　駅のプラットホームから民家に囲まれた町並みを眺める。街灯がともり、星がいくつかまたたいている。三成は学生服からのぞく腕時計をたしかめた。針が十九時を指していた。隣にたたずむ幸村を見おろすと疲れた顔はしていないが、遅くまで付き合わせたと思う。 　電車を待ちながら、彼はほほえむ。 「お探しの本が見つかり、ようござった」 　ふん、と三成が顔をそらす。 「貴様のよろこぶ理由などないだろう。私の勝手に振りまわされた自覚もないのか」 　幸村は首をかしげて「本が見つかったにもかかわらず三成殿はご不満なのか？」と的はずれなことを言う。 「もういい」 　どこまでもおひと好しで憎めなかった。 　三成はひと付き合いが得意でない。でも幸村はよく話しかけてくれる。はじめは煩わしかったのに、だんだんと馴れてしまった。いまは自分から彼を探すことも多い。 　いつも幸村に誘われて帰るのだけれど、たまには道のりをすこしでも長引かせたかった。ただ、こういうときどんな言葉を紡げばいいかわからず、高校から離れた大型書店へ行きたいと言った。 　彼はいやな態度ひとつせずついて来て、本のタイトルをきき、熱心に探してくれた。ああ、だから嫌いになれない、と三成は棚よりも幸村の顔ばかり見ていたのをおぼえている。しかし決しておもてには出さなかった。 　アナウンスが流れ、遠くから電車の走る音がする。 「来ましたな」 　幸村のつぶやきに重なり風が吹きつける。車体は速さを落として定位置にとまった。 　ガラス越しの車内に、三成は眉をひそめる。スーツを着た老若男女がぎゅうぎゅう詰めで立っている。 　ドアがあき、幾人か降りてもたいした空間にはならない。仕方なく三成は先に乗り、ひと混みに背を向けて立つ。続いた幸村はドアがしまるぎりぎりの場所におさまった。 　はさまれないように、幸村が身体を前倒しにして寄せてくる。三成は息をのんだ。彼のひたいが鎖骨あたりに触れそうだった。 　電車が走り出す。 「わっ」 　つかまるところのなかった幸村が、飛びこむようにもたれかかってきた。三成は踏ん張り耐える。 　焦げた色の髪が唇の近くで揺れる。くっと息をのむ。三成の背中も見知らぬだれかに押され、力を抜けば幸村をつぶしてしまいそうだ。 　ドアへ片手をつき、こらえる。 「大丈夫でござるか？」 　まなじりがすこし上がったおおきな双眼に問われる。三成はぎゅっと奥歯を噛んだ。胸板にあたる幸村は身長こそ足らないがしっかりと自分と同じ硬さのある体躯だ。なのにもうこれ以上密着してなるものかと踏ん張りを強める。 　心臓に内側から殴られている気がする。不意に下腹がじんじんと疼く。認めたくなかったが、下衣の布に窮屈さをおぼえたとたん、首筋が熱くなってくる。 　三成がちいさく息を漏らして身を浮かせようとしたので、幸村は再度問うた。 「せまいのでしたら某のほうへもたれてかまいませぬぞ」 　三成は目の前の決して嫌いではない瞳をなじりたくなった。いっそもたげている熱の中心ごと押しつけてしまえればどんなにか楽になれるだろう。かわりに三成は自分がひどく大事にしているプライドを捨てることになる。幸村に対する裏切りだとも思う。 「必要ない」 　かすれた声でつぶやいた。 　幸村は眉根を寄せる。三成がぶっきらぼうに返す言葉と、機嫌を損なっているときの響きの差は、ささやかな低さにある。 　いつも不安にかられる瞬間だ。しかし三成が実は繊細なだけだというのも幸村は薄々察していた。銀髪の奥をのぞきこむ。色の白い肌が赤らんでいる。 「お具合が悪いのか」 　三成は、はっとした。真剣に見上げられ、ますます血のあつまる感じがし、唾をのむ。車体が揺れ、片手を支えにしたものの、幸村にのしかかってしまった。 「ちっ」 「ち？」 　とっさに、わずかでも距離をあけようと、三成は顔をそむけた。 「私に近寄るなっ」 「ええっ」 　幸村は身をすくませる。ドアへ寄るように思わず逃げた。すると三成は舌打ちして、すこしも視線を戻そうとしない。 　停車を知らせるアナウンスが流れた。速度の落ちていく車体に合わせて、ふたりはひたすら触れないように姿勢をかためた。幸村など、ドアがひらけばいまにも飛びだしてしまいそうだ。 　嫌われくない、嫌われたくない。 　降りる駅は、まだ先である。 　　2011/12/31 　　リクエスト電車で下半身テンパる三成