この距離が











 
 剣道部の活動を終えて高校から出たのは十九時を過ぎたあとだった。民家にはさまれた路地は陽が落ちて暗く、電柱にとりつけられた街灯が点々と続く。白い明かりへちいさな蛾が舞い飛んでいる。

 隣に並ぶ真田は今日あったできごとをとめどなくしゃべっていた。後ろ髪だけ長くのばした頭は私の耳までの背丈しかない。ひとからは「速くて追いつけない」とよく言われる歩調に合わせてついてくる。

 私は級友や学校の教師にまったく興味がないので、話の内容はあまり理解できなかった。しかし、うなずかれもしないのに真田は語るのをやめない。

 なぜと問うたところで、きっと私の隣がよいと答えるだろう。たとえば他人が「石田三成は短気なうえに底が浅くまるでつまらない男だ」と評価しても、彼は首を振る。面と向かって眼帯をした男から言い放たれたことがあるのだ。けれど、先に帰りの支度をととのえて嫌われ者の私を待つ。それが真田だ。

 足をゆるめてくれとか、返事さえも求めない。私に遅れないようにと歩いている。なんとなくわかる。隣が保とうとするのは、声の届く距離だ。ひどく近い。だが、いやじゃない。

 駅へのびる道を見据えたまま十字路へ出た。ふ、と指の背をなにかがかすめる。手入れのされた真田の爪だ。つまずいたらしい。

 彼はすばやく腕を引いた。

「申し訳ございませぬっ」

 宵闇に抜けるほど大きな声だ。学校の話をしていたときの気安さはなく、ふり絞って出したような、かすれた響きだ。

 私は歩みをとめかけたが、暗がりでも読みとれるほど泣きそうな顔が目に入ってこわくなった。そのまま無視した。彼はためらいながらついてきて、黙ってしまう。

 真田と帰るようになって一月もしたころ、言われたことがある。

「手をつないでもよろしいだろうか」

 私は答えた。

「必要があるのか」

「いいえ、でも」

「私はふれられるのが好かない」

 真田はさようでございましたか、と苦笑した。いつもの子供くさいわらい方と違うことくらいは察した。もっとあとで、彼からなにかを求められたのは、はじめてだったというのも気づいた。

 真田は自分を待ってほしいと言わない。会話に答えてくれともねだらない。しかし、いつも並んで帰る。私たちのすべてだ。

 くせのある髪が長い後ろ毛を揺らしてすっかり口をとじている。声の届くところにいてもこちらから言葉をかけたことはない。

 この距離が真田だ。ひどく近くて、いやではなくて、とても、もどかしい。

「おい」

「はっ」

 呼ぶと肩をはねさせる。私は視線をやらずにつぶやく。

「いちいちあやまるな」

 頭上で電灯の明滅する音がきこえる。真田はしばし唾液をのむのに難儀して、また「はっ」と短く答えた。こわばりがとけないのを感じ舌打ちする。「気にするな」と言いたかったのに、おそらく「黙れ」となじったように受けとられた。

 私は駅まで続く道を睨みつけたまま、片手を泳がせた。しかしつかめるものがなく、思わず横目で斜め下のほうを見る。うつむいた真田がすっと腕を引き、ふれないようにしていた。

 馬鹿か、と罵りたくても、あのとき、自分がいらないと捨ててしまった。ほかになにが必要だったのだろう。真田が横にいる。それがすべてだ。そのはずなのに。

 強引に手をとらえる。彼が震えたのが伝わってきた。私の体温は低い。だからだろうか。真田は黙っていた。

 指のあいだから汗でぬめる熱が逃げようとする。振りはらうのではなく、自然に、まるで悟られずゆるゆる抜け出そうとされて、力をこめる。

 まだすこし遠い場所で踏み切りが鳴る。しばしのあと、車体の揺れる音が夜陰に響く。胸の鼓動が重なりうるさくてたまらない。

 真田は並んだまま、乱れなく歩く。ただ、つないだ手がいつまで経ってもにぎり返されず、私はそっと唇を噛んだ。










  2011/7/31