黙す刃










「まこと理解し難い」


 真田幸村は眉をひそめた。目の前へ差し出された刃を睨む。蝋燭の明かりを照り返し、玉虫のように光っている。

 剃刀をちらつかせながら伊達政宗は口角を上げた。


「大将を落とされたアンタが悪いんだぜ」

「しかしながら」

「勝負は勝負、だろ?」


 武田の使者として奥州に訪れた幸村を政宗は手厚く歓迎した。酒宴をひらき、その後、余興に一局さしたのだった。

 盤上とはいえ、好敵手との対峙に違いない。政宗は、互いの威厳を賭けることを提案した。ひげを剃ってやろうにも、どちらも目に見えてたくわえていないので、脛の毛に代えてやろうというのだ。

 幸村は生真面目な性格ゆえに、挑まれれば二つ返事で受けて立った。無論、敗北を前提にしていない。知略で劣るのは明白だったし、時には負けを覚悟しての戦もあるだろう。ただ、それでも勝つことのみを考えるのが幸村の精神である。

 政宗が南蛮語を好んで操るような、傾向者であるのは知れている。奇抜な条件は自然と飲み込めたが、いざ男児の証を奪われるとなると、正気の沙汰かと疑いたくなる。


「某の負けは認めまする。ただこれ以上は止されたほうがいい」


 渋る幸村を囃すように政宗は口笛を吹き、楽しげに言う。


「往生際がなっちゃいねえな」

「たかが戯れと、はしゃいでいらっしゃるのはどちらか」


 幸村は鋭く返す。冷ややかに引き締まった眉は背水の将というよりも、我に返って諌める好敵手の眼差しだった。


「その手にあるのは刃です」


 盟約を結んだ使者に向けることも、万が一、傷になる事態が起きても、風評に関わるのは政宗だ。真田幸村は武田における名将であるし、当主が無防備な彼の者を脅したとあれば、沽券を下げるだろう。

 政宗は、途端に隻眼をかげらせた。剃刀の刃に指をあてる。


「俺がこいつでアンタの首を獲るとでも?」


 Ha! と失笑する。だが幸村は真剣な眼差しで正座している。

 沈黙が降り、暫しののち、鈍い光が暗闇へ投げられた。


「やめた。冷めちまった」


 確かにはしゃいじまったかもな、と続ける。

 幸村との出会いは戦場だった。言葉を交わすのも、命を懸けた死地だ。けれど、競い合う者へ払うべき敬意と、それを越え信頼に似た情があり、相手も同じはずだと、政宗は感じていた。

 だからこそ、武器を持たず成り立つ勝負であった。まさか逃げの口上に互いの立場を引き出されるとは面倒なことだ。


「It is unexpected.」

「政宗殿」


 幸村はつぶやくと瞳を伏せた。猛々しさも失せている。そして、気まずそうに足を崩し、脛を露にしようとする。

 その所作へ、政宗が片手で制止をかけた。


「やっぱりアンタとは、とっておきの爪で決着をつけるしかねぇな」


 長い黒髪の奥で、左目が愉快げに輝く。幸村は両眉をわずか上げて驚いたが、小さな笑みをこぼした。


「その時は、心置きなく」


 月明かりが薄らと届く畳の上で、くすんだ剃刀が黙している。














  2010/12/29

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