夏の陰 首を横へ傾けると、川の水面で光が跳ねていた。向こう岸には民家が並ぶ。いつもの帰り道だ。耳の裏や、半袖から伸びる腕が、雑草にくすぐられる。土手へ押し倒されていた。 鉄橋の下側は、煤けた鋼材が薄暗く湿っぽい感じがして、雨漏りでもしそうだ。ぽたりと水滴が降ってくる。よく知った顔から落ちる汗だった。しかし、見たことのない表情だった。 「政宗殿」 名前を呼ぶ。左の瞳が揺れる。右は眼帯と、伸ばした黒髪で覆われている。無言のまま、俺のインナーシャツはめくられる。 「何をなさるおつもりか」 やんわり訊ねても、返されることはなかった。眉間に皺を浮かべ、必死だというのが伝わってきた。ああ、確かに政宗殿は、今日少し、おかしかった。 昼休み、談笑していると、彼の髪が瞼にかかっていたので、ゆっくり払った。政宗殿は急にお話をやめた。そして、立ち上がり、教室から出て行った。爪でも当たり、機嫌を損ねてしまったのだろうか。追いかけようとしたら、振り返って睨まれたので、その後どこへ向かったのか、わからない。 ゆえに帰ろうと誘ったとき、普段と変わらず頷かれ、鉄橋前で、手を引かれて足早に歩き出しても、嫌われたわけではないのだと、安堵した。 政宗殿はまたがったまま俺の腹を撫でた。腰回りや浮き出た骨に這い、平らな胸へ伸ばしてくる。彼は日頃、余裕のある面持ちをしているのに、唇が引き結ばれ、伝わる掌の温度は熱い。 これからきっと未知の行いが始められるのだ。指先が頂きをつまみ、潰す。くすぐったいのと同時に、じんとした痺れが下半身へ走る。 目をつぶると、初めて声がきこえた。 「なんで抵抗しねえ」 「抵抗?」 「嫌じゃねえのか」 「貴殿は嫌がらせをしているのか」 問いかけると、力の抜けたさまがはっきりわかった。政宗殿は答える。 「いや」 「なれば、暴れる理由もあるまい」 俺は視線を川へやった。夕方といえど、まだ日が照っていた。橋の影で少しは涼しい。殴られて倒れているのなら、違ったのかもしれない。 政宗殿は深くまで語らない人だ。自分のこと、右目のこと。 けれど、たとえば貴方をもっと知りたいと問い詰め、打ち明けてもらえたとして、その眼帯の下が、根を張るほど大きな怪我だったら。能天気で未熟な己では、癒しきれない古傷だとしたら。言葉はいつも、そこで閊える。 本当は、わかりたい。同情などではなく。もっと、もっと。 せめて今、欲しているものだけでも。 筋張った指が肌をあらかた巡り、ズボンのチャックをおろした。俺は仰天し、端整な顔に訴えた。通った鼻筋はうつむき、隠すべきところを暴いている。夢中らしかった。手で取られ、握られる。はっ、と息を吸い込む。羞恥心に地面へ指立て、しがみついた。 政宗殿の掌に包まれている。緩やかに上下し確かめるような動きが、徐々に勢いづく。 もう片方の手は俺の唇に伸びてきて、歯を避けながら、口内の粘膜を押す。ときどき、舌を揉む。どう反応したらいいのかわからず、ただ与えられる刺激に合わせて、跳ねるのを抑えられない。背中や横腹に刺さる短い芝が痛かったが、気にならなくなっていた。 頭のどこかは冷静なのに、局部が疼き、爆発する感覚にとらわれる。 全身に疲労が広がる。荒く呼吸していると、政宗殿は白く濁った指先をこすり合わせ、ねちねちと鳴らした。ひ、と声が漏れる。唾液で濡れた手が首筋を撫でて、腰へ回った。ズボンと下着をさらにずらし、ぬるい精で湿った指が、排泄する場所に触れる。 爪だ、とわかるような固さだった。小刻みに動きながら、押し入ってくる。圧迫から逃れるため、力を抜く。 何も考えないようにした。ただ、これは政宗殿の一部なのだ、と思った。きたなくないのだろうか。それでも、彼が望んでいる。 進んでくるものが止まるまで数分かかった。新しい指を感じ、外気に触れている肉が、受け入れる瞬間引きつる。痛かった。 三本おさまったのかもしれない。政宗殿はせっかく入れたというのに、まとめて抜こうとした。そして、戻そうとする。その動きに困っていることはすぐわかった。俺は呻き声ばかりこぼした。苦しかった。 この行為の意味はよくわからない。けれど彼にとっては意味があるに違いない。尻の中の塊がなくなった。そう感じた後、また肉を割ろうとする感触があり、凝視する。 政宗殿は自分の前をひらいていた。そしてゆっくり腰を近づけた。ぐっ、と腹が内側から押される。 「あっ」 無意識に呟く。政宗殿が久しぶりにこちらを見た。やっぱり今にも死んでしまいそうな、揺れた瞳だった。俺はどんな表情だったのだろう。 彼の目は再び俺の下半身ばかり眺めていた。ズボンの絡んだ脚を抱え、もう片方の手で局所をしごく。腸の中でもゆるゆるした往復運動が始まる。指と似ている。しかし、段々とぬめりが湧いていることに気づく。きっと、己が先ほど吐き出した白いものを、政宗殿も、少しずつ散じているのだ。腰が速まり、激しく突き上げられる。 俺は断続的に吐息と混ぜて声を漏らした。すると楽になるようだった。仰向けで地面にしがみついたまま、ぼんやりと鉄橋の下をのぞむ。外は明るいのに、光が当たることはないのだろうか。 うっ、と小さくうなりがきこえる。彼はひときわ強く、腿へぶつかるよう密着して、身を揺すった。 引き抜かれると、肌に液体の伝う感触があった。 政宗殿は肩で息をしている。羽織っていた学生シャツを脱ぎ、俺の脚の間に押しつけ、こすった。ぬめりが拭われる。そして、中途半端に起ったままの局所へ隠すようにかぶせ、離した。 彼は黙って身なりを整え、立ち上がる。鞄だけ持ち、日差しの下へ出て行く。表情は翳っていて、よくうかがえない。 呆然と見送ることしかできなかった。打ち捨てられたシャツを握る。その下で燻る熱は、ひとりまだ震えている。 俺は自分の爪に気持ち悪さを感じた。土が入り込んでいる。そうか、ずっと地面にしがみついていた。よごれない方法はあったのだろうか。きらきら輝く水面を眺めた。生温い風が汗の滲む肌に吹いた。 政宗殿のシャツは染みになった。飯粒を落として潰したあとのように白く乾いていた。 家へ帰りすぐ洗濯機を回したが、完全には落ちなかった。手洗いしたら、少し皺になってしまった。同居人の佐助に相談すれば、もっと綺麗にできたかもしれない。 しかし言えるはずがなかった。原因を聞かされたら、どんな反応をするだろう。 あれは暴力だったのだろうか。 シャツの入った紙袋を見下ろす。返すならば、早いほうがいい。いや、話しかける口実が欲しかった。 もう昼休みだというのに、彼はまだ学校へ来ていない。 この身体の奥深くへ残されたものは、嫌じゃなかった。じゃあ俺は、貴方に何を残せたのだろう。 風呂で流しても、繋がっていた場所に違和感はあった。広がって、少し肉が外へ向いているのかもしれない。時間が経てばおさまるだろう。 でも、政宗殿がどんな顔をするのかだけは、想像ができなかった。いつも悠然とした態度なのに、切羽詰って、余程のことだったのだ。 気恥ずかしさばかりが思い出される。ただ彼は確かめるように一つ一つ触れていって、噛みつきそうな左目は蹴り飛ばせば壊れそうだった。 たとえばあれが、政宗殿の誰にも見せないような表情だったとしたら。俺は机の上で両指を丸めた。頬に熱が集まった。 ふと、級友の声が上がる。教室の入り口で、鞄を提げた政宗殿が立っていた。授業へ出ないことはあっても、半日も姿を見なかったのは珍しい。きっと、昨日のせいだ。 俺は少しだけ視線を送った。けれど涼しげな足取りで自分の席へ向かう。気づいてないのか、合わせないようにしているのか、わからない。 ぐっと唾液を飲み込む。紙袋を掴み、立ち上がった。 「政宗殿、あの」 普段の冴えた眼差しで「Ah?」と返されたが、持っていたものを前へ出した途端、左目がわずかに見ひらいた。 遮るように言う。 「ちぃと、屋上へ行こうぜ」 錆びた扉をあける。外は眩む明るさだった。政宗殿は壁へもたれる。陰になっていて、日差しを避けることができた。 空は青く、切れ切れの雲が風で流されている。 「これを」 話し出さない彼より先に、自分から切り出した。 「洗いましたので」 政宗殿は黙った。小さく舌打ちする。 「わざわざ、よかったんだがな」 顔をそらしたまま続けた。 「悪ィが、処分しとけ」 俺は胸に冷水を浴びた心地だった。受け取ってもらえないことを考えてなかった、のか。処分、という言い方のせいなのか。 ああ、そうか。 政宗殿は深くまで語らない人だ。けれど、なんとなく自分は許された相手なのでは、と思っていた。橋の下で惑わされた白昼夢のような熱は、その証拠だと。 「某が貴殿に残したのは、後悔ですか」 吐き出した自分の言葉が、耳鳴りとなってこめかみに響いた。紙袋を握る手に力が入る。舌を噛んで死んでしまいたいくらいの羞恥と、くやしさだ。 すると、空を眺めていた横顔が振り返る。切れ長の目の中で、焦げた色の瞳が小さくなって澄んでいた。滅多に拝めない虚を衝かれたもので、眼帯に隠された右も同じなのだろうか。 政宗殿は数歩こちらに近寄った。武骨な手が伸びてくる。 「犯されといて、とんだ馬鹿野郎だぜ」 俺の首筋へ触れ、親指が一点を撫でた。そこには、あの土手で虫に刺された痕があるはずだった。 真っ直ぐに俺を見ている。けれど、どこにも揺れ動くことのない眼差しは、叩けば割れそうな硝子みたいだ。 唇がかすかに動き、呟かれた。 「アンタについたよごれは、落ちなけりゃァいいのに」 はっきりと聴こえなかった。ただ俺は紙袋を放し、政宗殿の背中へ腕を回した。 よごれているなんて、馬鹿なのはどちらだ。全て教えてほしい、見せてほしい、伝えてほしい。 貴方の陰になりたいなど、ひどい欲求。 2010/8/13 エーコさんのコインランドリー妄想に便乗して書かせて頂きました。 幸村に触れられて起っちゃって 確かめるためにヤッてみたんだけど最中は 背中に手も回してもらえなかった政宗と 欲求だけはあるのにどうやって形にするかとか そういうものにはまだ無自覚な幸村 |