咲く場さがし 目に映るものすべて、まだ、ありのままの光を受け入れることができた。あの御方がいて、曇りひとつない未来がそこにあった。 城の敷地では徴兵された無数の民が訓練に打ち込んでいる。武器を交わす音、雄叫びが絶えない。 国を支えてゆくのは心身ともに強い者だけだ。敬愛する主君の理想が、かたちになっていく。着実に豊臣の力は増し、日ノ本を統一する未来も近いだろう。私はそれだけで穏やかになれた。 隣を歩く秀吉様に声をかける。堀の隙間に白い花が咲いていた。 「あの様な場所にも花は咲くのですね」 表情をうかがうには仰がねばならぬほどの巨躯が振り返る。茂る眉とこめかみが猛々しい。 「三成よ」 堀を眺め、呟いた双眸が細められる。常の威風ではなくどこか儚げだ。 「斯様に矮小なものに気をとられていては、覇の道に立てぬ」 私はしばし動けなかった。 しかし、咄嗟にこうべを下げた。左腕という名に浮かれ、慢心を口にしてしまったのだ。 花に見惚れた己が恥ずかしく、殺してやりたくなった。秀吉様のお考えが私にとっての総てだ。 巨躯は静かに歩み出す。 逞しいその背が眩しくて、いつまでも追っていたかった。 「石田殿」 我に返る。声の主は赤い装束を纏った若い将だった。 「疲れがたまっておられるのでは」 訝しむ様子で問われ、私は切り返す。 「貴様にわかるものか」 甲斐の虎が病床に伏してから武田を束ねている真田幸村という男だ。怨敵家康を討つため盟約を結んだが、口先だけの覚悟に期待などしていない。 家康を殺す権利は私にある。秀吉様をほふった拳も、四肢ともどもきざんでやる。 精悍でありながら幼さを帯びた顔が眉をひそめた。 「そこに」 鏝をはめた指が差す。土と砂利の地面が広がっている。 ところどころに雑草が生えていた。真田が示したのは一輪だけ咲いている名も知れぬ花だった。 「じっと見つめておられましたので」 私は言葉をなくす。そしてすぐ、右手に握った刀を鞘におさめたまま振り下ろした。空を斬る音が響く。 「馬鹿なことを言うな。斯様に矮小なものに気をとられていては、覇道に立てない」 真田は双眼を見ひらいた。喫驚があからさまであったので私は問い詰める。 「何がおかしい」 「いえ、貴殿が覇をとなえられるとは思っておらなんだ」 明快な、裏を感じさせない瞳が余計に腹立たしい。 「私を腑抜けと誹るのか」 「石田殿は、天下など欲しがる者にくれてやると申されたゆえ」 視線が落ちる。 「ひたすら故太閤をおもい、剣を握られておるのかと」 私はわずかに戸惑った。いや、心乱す隙などあるはずがない。低く答える。 「そうだ。これは秀吉様のご教示だ」 「しかし、貴殿は見つめておられた」 真田は跪くと、花弁の下に指を潜らせる。 「某は無数の民のために立つ覚悟を決めたが、武田の、すべてを望める目はまだ、持ち合わせておらぬ。だが見渡そうとして、足元を支える多くの草を踏んだ」 なので、と顔を上げる。 「いよいよ戦場となり、散るかもしれぬこの花を眺めていらっしゃる石田殿に、いささか同じ魂を感じた」 鏝のあいだから、するりと花が抜ける。折れた様子もなく、まっ直ぐに咲いている。 唇が渇く。咽喉の干るような、胸奥から熱が湧く。 貴様とは違う、と怒鳴りたい衝動かもしれない。もしくは、あの方の誇ったものを否定しかねない言葉が出かけていて、堪えたかった。天下など、秀吉様のいないこの世など。 踵を返す。足が動かない。 絞り出して呟く。 「私は、たった一輪でよかったのだ」 脆弱な花に譬えるなどおこがましい。けれど秀吉様は暗におっしゃられたのだ。まことに彼の御心へ近づくならば、その憧憬さえ捨ててみせろと。 「それとも、己が花になりたかったのか」 護ることもかなわず、認められることさえなかった。秀吉様の中の私を知ることも、もうできない。 食いしばり、虚空を見る。ぎり、と歯が鳴った。碧落の青さはそらぞらしく、私のかなしみも、家康の裏切りも、まるで取るにたらぬと嗤わんばかりだ。 背後で、立ち上がる気配がある。 「貴殿が花と申されるならば」 凛とした声に、肩口から振り返る。 「西の虎、真田源二郎幸村が散らせますまい」 鮮やかな赤い鉢巻きが風でなびく。瞳には燃えさかる炎が宿っている。私は目を合わせたまま停止した。未だかつてそんなかおを、他人から向けられたことがあっただろうか。 ただ少しだけ、火照る臓腑が冷めた。斜めに落とした視線の先で薄紅の花が揺れる。 「懸ける命も一輪であると知れ」 吐き捨て、前を向き踏み出すと、草履の裏で砂利が響いた。 2011/2/22 三成と幸村がお互いに投影し合う部分があるとすれば、それは生き場所を探しているところだと思う。 三成は、家康に裏切られる前は秀吉様で、今は復讐で。 幸村は武田衰退前はお館様で、己に還った今は戦という場所で。 |