つつじほむら 大坂城で晴れ空を眺められる日は一時期とんと減っていたが、三成が西軍を名乗りはじめてから、兵の士気も高まり、かつての覇気を取り戻しつつあった。 総大将に仕立て上げたのは他ならぬ己である。大谷は布の下で自嘲する。いまは御輿に乗らず、濡れ縁で禅を組んでいる。 皮膚を覆う布の隙間から目を細めた。大谷は燦然と輝くものを視覚以上にまぶしくおぼえて直視できない。かろうじて夜の闇に浮かぶ星だけは眺めるくせがあるが、そのきらめきが落ちて失せる瞬間を心待ちにしているからだ。 太閤秀吉が同胞にほふられて以来、三成の機嫌をあらわしたように空は翳っていた。厚い雲が垂れ込め陽光が差すこともなかった。昼に薄暗いという矛盾がまた大谷の不幸を望む性向に馴染んで心地よかったのに、長く続かなかったのは予想の外だ。三成は軍を率いるような器ではない。故太閤を悼み嘆くだけの傀儡となるはずであったが、いまは城内の敷地で剣技に励んでいる。憎い仇を倒すためだとしても、かつての消沈からは浮上したに違いない。 まるでどこぞの若虎のようだと、盟約を申し入れてきた男を思い出した。徳川に対抗するため多少の媚びも売って勢力の拡大をはかっていた大谷には願ってもない話だったけれど、なかなか愚直すぎて駆け引きの面白みには欠ける相手だった。彼もまた常に見かけるのは鍛練の姿だ。 あの凶王に対し自ら「役にたってみせよう」と言葉にしたのは、西についた武将で真田幸村ひとりだけだ。三成は特に興味もないようだが、秀吉の愛した城への滞在は許しているし、悪くはとらえていないのだろう。「魂が似ている」と言ってやったのも効いたのかもしれない。 ひとを疑わず、全身全霊で尽くす無垢さは、不幸と紙一重だ。 大谷はヒヒッと咽喉をひきつらせてわらった。晴れた空も束の間にすぎない。企みがととのえば、大きな合戦がはじまる。あの徳川家康がいる限り、三成に生まれた真田という縁は、互いの実直さゆえに深まるほどいずれ衝突するだろう。混沌の余興になれば武田も価値はある。たとえ三成の傷が増えることになろうとも。 大谷は庭園を眺めたまま笑みを消す。それが望むものであったかと、一瞬だけ躊躇した。いや、己の謀りに落ち度などあるはずがない。見ひらいた目をまたたかせる。 ふと、眼前にあかい色が落ちてきた。ひとつ、ふたつと、花のようだ。首から上の形を残したまま、鮮やかな紅がおどる。 大谷が仰ぐと、ひらいた手と腕がある。そのあいだで、戦装束をまとった真田幸村が微笑んでいた。凛々しい眉だが若さゆえか、雰囲気はすこしいとけない。 「やれ、これはなんの真似だ」 抑揚のない声で問う。幸村がかしこまって答える。 「山つつじでございまする。貴殿は花鳥風月を愛でられると」 「われが見るは星よ」 赤い鉢巻きをした顔は、はっとしたらしい。そうでありましたな! と叫ぶ。大谷は布の下で無表情を続けた。わざとらしく耳をふさいでも、きっとさらに大きな声であやまられるだろう。 単純な男には慣れているが扱いやすい反面それなりに面倒だ。なにせささやかな皮肉もまず理解に至らない。 幸村は直立して話していた。 「大谷殿が最近ふさいでおられるご様子だったもので」 「……日常よ」 この気質のせいで陰鬱だと囁かれることもある。大谷自身は意にも介さないが、旧友はそれを知り、うわさした兵を殴った。自分などかばったところでなんの益にもならない。目の前の若虎は、やはり三成と似ている。 「ぬしも変わった男だ」 幸村は怪訝そうに首をかしげる。大谷は淡々と言った。 「憂き目の虎は、斯様に他者へとり入り無力を誤魔化すか」 根のわかれた眉が寄る。彼の国を迷わせる拙い采配は徳川に及ばず、後ろ盾を求めて石田へ参じた腹も大谷はわかっている。「役にたってみせよう」と息まくのは、己の価値に怯えているからだ。 幸村は確かに、と呟いた。 「なにも為せぬと、あきらめもできず、常にあがいておるようにもこの身は見えましょう」 眉間のしわが苦々しく深まっている。本当に、ばか正直な男だ、と大谷は思った。殊勝に認めても、くつがえす自信はないということだ。 だが、ひたすら前を向き、もはや恐れひとつないと言わんばかりの男にくらべれば、まだ可愛げもある。組んだ脚のあいだに落ちた花を見下ろした。 「これはどうした」 「裏手の山が燃えるようであったゆえ、摘んで参り申した」 「わざわざ出かけたのか」 「鍛練となりますれば」 力んだ様子で答えるが、花をかかえて戻る理由にはならないだろう。いま愛でていられるのは大谷へ見せようというこころがあったからだ。大谷は「やはり、変わっている」と呟いて、一輪つまみ上げると、指先で回した。 この若虎が水底から抜け、徳川へ挑まんと決意を固めれば、西軍へつく義理があるのかと考え至るだろう。真正面からぶつかりたいと願うとき、もはや他者の力は必要ない。しかしそれこそ大谷の望む禍の種だ。見捨てられ、よりにもよって家康のためなど、三成の怒りは増す。 大谷は黙ってあかく燃えるつつじを眺めている。この世からすべての色が失せればいい。右の顔も左の顔もわからぬ闇となればいいのだ。そうすれば、他人の幸福など目に映らず、己の醜態も知れることがない。 視線を上げると、こちらを見据える眼差しがあった。苦悩の澱に沈みながらも澄んだ双眸は、身近な相手を彷彿とさせる。己の芯が揺らぐのを感じた。 指先から、ぽとりと花が落ちる。 「真田」 「はっ」 「ぬしがあの憎き太陽を討つのは勝手だがな」 戸惑いをおさえられないまま、わずかに震える声で吐いた。 「三成を裏切るな」 幸村は目を見ひらいた。無論だ、と即座に答える。その真っすぐな瞳からそらすように、大谷はまたあぐらの中で燃える花へうつむいた。ひとのこころに、まことなど存在しない。そう揶揄で追及することもできず、言葉が咽喉の奥でつかえている。 「刑部、ここにいたのか」 呼びかけに振り向くと、濡れ縁の奥から三成が歩いてくる。彼もまた戦装束をまとい、細い足が重々しく板を鳴らす。 幸村は一礼すると、「では、某はこれにて」と言って三成の来るほうへ進んだ。すれ違う手前で、彼にも頭を下げる。 「無駄話をする暇があるなら槍に励め」 「今すぐにでも」 叱咤を読み、先んじて場を辞したらしい。幸村も三成の気性を理解しつつある。赤い鉢巻と後ろ髪をたなびかせて去るのを、ふたりは見つめる。 「やれ、なに用か」 包帯の下から問うと、銀髪は静かに答える。 「いや、貴様の姿が見えないと思っただけだ」 「ぬしが剣技に打ち込んでおったゆえな」 ふん、と息をついた三成のこめかみには汗がにじんでいるが、消耗をうかがわせないわずかな量だ。涼しげな眉を上げ、いぶかしげに言う。 「その花」 大谷が答える前に、濡れ縁の奥を向いて続ける。 「奴か」 「なぜそう思う」 三成は花をひとつつまむと、鼻先を寄せた。 「横を通ったとき、同じにおいがした」 大谷はゆっくりとまたたいた。そもそも布越しのため嗅覚はにぶいのだが、つつじにも香りがあるのだと、はじめて知った。 三成は黙って、しかしもの言いたげに見下ろしてくる。包帯を巻かれた身体は、あかい花にまみれている。まるで、ともし火を散らされたようだ。ヒヒッと咽喉が震える。 「ぬしにやろう」 「……いらん」 ささやかな沈黙はなにをあらわすのか。 「そうであろうな」 やはり正直よなと呟いて、大谷は空を眺めた。憎々しい晴れ間が、いまはすこしだけ安らかに見えた。 2011/6/18 山つつじの花言葉 「燃える思い」 |