蝶の墓










 渡り廊下で長い後ろ髪を一くくりに結んだ男が立ち尽くしている。同盟中の武田から使者として滞在する真田幸村だ。精悍な横顔は庭を凝視していた。

 何があるのだと問うと、静かに指差す。

 俺はその先を、隻眼を細めて探す。強い日の光で風景がまばゆく白んで見える。

 少し離れた地面に翅を閉じた蝶が落ちていた。揚羽だろうか。


「これか?」

「墓を作ってやるべきか、と考えていました」


 穏やかな口調だった。しかし哀れむ色はない。人を斬り、また軍陣の将として同胞を失う痛みも知るならば、「死」そのものは受け入れているのだろう。

 俺はふん、と息づく。情け深い男だ。


「飼っていたわけでもねぇのにかい」

「命の重さに差はございませぬ」

「同感だが、目に入る魂、全部救えるわけじゃねえ。そいつの骸は自然と土に還るだろう」

「我がまなこに留まったのが、宿世かと」


 茶色く透ける瞳には曇りが無い。それは時として俺の腹に苛立ちの火をともす。

 真田幸村の正義感は甘さだ。たとえば今、見過ごすことが非道であると言いたげに眉をひそめている。

 己がこうしたい、と判断して動くより、まず人としての在り方にこだわる。

 義にまったく捉われない輩は俺も好かない。ただ、綺麗事だけで生きられると思い込んでいる輩も、焦れったいのだ。


「アンタは山のような墓をつくる羽目になるだろうな」


 俺が言うと、真田の双眸はわずかにひらいて、すぐ据えられた。


「貴殿こそ」


 負けん気のこもった声だった。


「あれが雀であれば、猫が屍を持ち去るまでは待たぬでしょう」


 俺は黙った。

 命の散らぬ戦など有り得ない。理屈ではわかりながら、誰ひとり欠けず戻れと吠える。失うものが多いほど、視界が黒く霞む。怒りの炎が、腹で燃えあがる。敵へ、無力な己へ。

 まさかこの男に「お前も人の子だ」と言われたのか。

 苦々しい笑みが漏れ、とっさに左目の上へ手を当て、表情を隠す。


「It was a surprise.」

「あ」


 真田が小さく呟いた。

 一匹の蟻が蝶に辿り着いた。触角を迷わせていた近くの二匹もまた群がる。彼らの言葉はきこえない。しかし何ごとか話しているように思える。生き残るための算段を。

 いずれ巣から他の仲間が来るだろう。そうして蟻の何倍も大きな骸は運ばれていく。子供のころから庭でよく見た光景だ。だから葬ってやる必要などない。

 長い後ろ髪がひるがえる。真田は俺に一礼し、廊下を進んだ。


「墓はいいのか」


 問いかけると、振り返り、清々しげに答えた。


「今度は彼の者たちの、糧を奪うことになりますれば」


 俺は小さく舌を打った。こいつの情けと俺の矛盾は決して同じではないはずだ。

 そのやさしさが生かす命と、殺す者で、アンタがいつか苦しまないといい。

 俺は静かに横たわる蝶の亡骸を見下ろした。












  2010/12/29

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